七年。知るほどに解らなく。

九月二日。

夏の名残を残しながら、季節が次へ向かい始める頃。

そんな季節の境目に、毎年、立ち止まる日があります。

七年前の今日。

「逢坂裕」という名前を、
生み落とした日。

あの日のことは、不思議なくらいよく覚えています。

不安と期待。

これから何が待っているのかも、どこまで続けられるのかも。

知る由なく。

それでも、一歩前へ踏み出した。

あれから、七年。

七年続けてきて、
わからないことが増えました。

「人と会う」経験が増えれば、人のことも、もっとわかるようになる。

そう思っていた。

いつしかそんな単純なものではない事に気づく。

経験が増えるほど、目の前の一人と向き合う為にその経験そのものがむしろ邪魔になることがある。

「きっとこういう人だろう」

「こういう時は、こうした方がいい」

経験から導き出した答えを、自分が知っている「何か」に当てはめた瞬間、

見ているのはその人ではなく、自分の経験なのかもしれません。

人は、誰かが勝手に用意した答えの思い通りにはならない。

なる必要もない。

経験は、時に慢心を生む。


選ぶ人にはそれぞれに考えがあり、それぞれに選ぶ理由がある。

その時々で、心も変わっていく。

だから、

何度お会いしても、今日のその人までを解るつもりではいけない。

経験は持っていく。

でも、
答えは持っていかない。

その日の答えは、二人の時間の中で見つけていくべきと気づく。

だから、七年やっても完成を見ることはない。

重ねた時間があるから、
わかること。

重ねた時間があるからこそ、
決めつけないこと。

七年。

本当にたくさんの方に、その大切な時間を預けていただきました。

選んでいただき、
お会いいただき、
話を聞かせていただいた。

その一回の積み重ねの中で、

「逢坂裕」

というものが、
少しずつ形になってきたのだと思います。

選ばれ続けた七年がなければ、
今の逢坂裕もありません。

この仕事を通じて、変わらないものなどないのだと、何度も教えられました。

人も、然り。

昨日と今日で、同じ人がまったく同じ心でいるとは限らない。

人が変わり続けるのなら、

人と向き合うこの仕事もまた、完成していいはずがない。

七年やってきたから、
簡単には「わかった」と言えなくなった。

でも、その分、

人とお会いすることが、以前よりずっと面白くなりました。

何度お会いした人にも、まだ知らない表情がある。

そう思えるから。

何百回目でも、その時間はいつも新鮮な気持ちで臨むことができる。

逢坂裕は、
七年経った今なお未完成です。

七年前と同じように、この先のことはわかりません。

しかし、
   

これからの時間を、誰かと比べるために使うべきではない。

そう気づいた。
 

僕とお会いした時間が過ぎた、その先。

続いていくあなたの時間が、少しでも前向きで、少しでも輝くものであるように。

七年前の今日からずっと、そう思っています。

いつでもお会いできるような気がしていた時間にも、いつか終わりは来る。

だからこそ、

「また今度」を、
当たり前にはしたくない。

厳しい時にも選ばれ続けること。

それは、結果で証明してきた。

これからは、
選ばれ方まで選んでいく。

結果だけではない、

その結果がどう生まれ、何を生んでいくかまで。

それが、


これからの逢坂裕の在り方。



まだ知らないあなたに、
お会いできることを楽しみにしています。

その日も、答えは持たずに。

逢坂 裕