レンタル彼氏、湊くんの優しい泡
タンッ──軽く、たたいただけの、エンターキー。それなのに、その音は、思いのほか大きく、職場のフロアに響いた。
私は奈々。この調査会社で、一般の人への調査のお仕事をしている。今は、一般の人 三百人へのご案内のメールを一斉に送ったところなのだけれど……今送ったメールを、もう一度見返してみる。
そして、メールの添付ファイルを間違えたことに気付き、私は血の気が引いた気がした。一つ、小さくため息をついて、震える手をもう片方の手で握り締める。そして、意を決して上司の席へと報告に向かった。
その後はひたすら謝罪の電話、メール、電話を手伝ってくれた同僚への謝罪……。家にたどり着いた時には、くたくただった。布団に入っても眠れなくて、何度も寝返りを打つ。
──明日は、同僚にお詫びのお菓子を配らなくては。
こんな落ち込む夜には、誰かに話を聞いてほしい。なぐさめてほしいけれど、私は一人暮らし。こんな夜中に話を聞いてくれる人などいるわけもない。恋人だって、つい最近、別れてしまって独りぼっちだ。
殺風景な部屋は、シーンとして、なんの音もしない。仕事が忙しすぎて、一緒に暮らしていた彼とは、気持ちがすれ違ってしまった。私の毎日には、今、仕事しかない。
ひとつの、タップ
ふと、ここ最近、ついつい見てしまうサイトを開いた。WarmRelationっていう、彼氏をレンタルできるっていう会社のサイト。かっこいい人の写真がたくさん載っていて、こんな人とデートできるなんて素敵だな、なんて思いながら眺めている。
一番気になるのは、湊くんというキャストさん。優しそうで、ハッシュタグが「癒し」になってる。私に、今、一番必要なのって癒しなんじゃないかなって思って、ついつい何度も湊くんの写真を眺めてしまう。
しばらくじーっと写真を見て、私は、思い切って、「湊くんにLIMEを送る」というボタンをタップしてしまった。自動返信なのか、「どのようなデートをして過ごしたいですか?」と1秒で返信がきて、私はドキドキして返事を打った。
──都内で会いたいです。カフェとかでお話を聞いてほしいです。希望日時は……急ですが、明日の夜19時は難しいでしょうか……?
メッセージを送信すると、なんと、しばらくして返信があった。
「明日、大丈夫です! 原宿のカフェで19時に待ち合わせはいかがですか?」
翌日 19時 ─ 原宿
カフェに待ち合わせ時間に現れた湊くんは、写真通り、とっても優しそうで、緊張していた私はホッとした。
「奈々さんがチーズケーキが好きとメッセージで言っていたので、チーズケーキの美味しいカフェにしたんですよ。」
そう言ってくれて、嬉しかった。誰かが私のためにお店を選んでくれるなんて、いつ以来のことだろう……? このデート、楽しくなるような予感がしていた。
でも……初対面でいったい何を話すんだろう。そう思ったけれど、気が付いたら、メールの誤送信の話をしていた。こんなこと、初めて会った女に切々と話されても、湊くんも困るだろうと思ったけれど、止まらなかった。
湊くんは話をうなづきながら、優しく聞いてくれる。気が付くと、涙がこぼれてきて、カフェには他のお客さんもいるというのに、涙は止まらなかった。私の失敗で迷惑をかけた同僚の顔まで浮かんできて、いたたまれなくなる。
湊くんが、そっとハンカチを差し出してくれて、ハンカチからは優しいフローラルの香りがして、涙はますます止まらなくなってしまった。湊くんは、こんなメンタル崩壊しているんじゃないかっていう私の話に、ひたすら優しく付き合ってくれて、申し訳なくなる。
湊くんの、その一言に、私は気持ちがすっと楽になった。改めて湊くんを見ると、とてもキレイな顔立ちで、私なんかとデートしてくれるなんて、夢みたいだなって思った。
「いきなり泣いてすみません……。話、聞いてもらって元気出てきました。もうちょっと楽しい話をしましょうか。」
私は話題を変えようと涙をぬぐって、そう、湊くんに声をかけた。
「じゃあ、僕の得意分野の、美容の話はどうですか?」
湊くんは、さらりと私の話を受け止めて、今度は面白い美容の豆知識を話してくれた。
「奈々さん、お肌キレイですよね。洗顔する時に、泡立てるのにいいグッズ、知っていますか??」
「え? 手で適当に泡立てているけど……」
私は、いたずらっ子みたいな湊くんの笑顔に、ついつい引き込まれる。
「百円ショップでも売っている、水と、洗顔フォームを入れて、シャコシャコシャコってするだけで、ふんわり泡ができるグッズがあるんですよ。しっかり泡立てたら、肌の汚れもばっちり落ちるんです!」
しゃこしゃこしゃこ……? ついついそのグッズが欲しくなって、「欲しい、それ、しゃこしゃこする……」そう、つぶやく。
「行きましょうか。もちふわホイッパーをゲットしましょう! 手、いいですか?」
湊くんは、優しく手を差し出す。私は湊くんに手を取られながら、カフェを出て、百円ショップに向かってしまった。
百円ショップ
「あった! もちふわホイッパー!!」
お目当てのグッズがみつかって、私は嬉しくなった。湊くんが優しく私を見てくるので、私はさっき泣いちゃったし、変な顔になってないかなって恥ずかしくなって、下を向いてしまう。
……この人は、私の一番望んでいる言葉をくれる人なんだな。私は心の中が温かくなった気がして、湊くんを見つめ返した。
おうちで、しゃこしゃこ
湊くんをレンタル彼氏さんとしてレンタルした二時間は、あっという間に過ぎ去って、私はすっかり元気を取り戻して、一人暮らしの家に帰ってきた。
──そうだ、もちふわホイッパー……。
美容グッズ、もちふわホイッパーに、水と洗顔フォームを入れて、しゃこしゃこと取っ手を押して泡立てる。びっくりするくらいふわふわの泡が、あっという間にできて、私は嬉しくなった。手に取って、ふわふわの泡で顔を包み込む。
──優しい泡だな。
そうだ、湊くんて、この泡みたいに優しく包んでくれる人だった。
手の平に、まだまだたくさん乗っかっている、あふれんばかりの、ふわふわの泡を見つめる。
──私、明日もちゃんと、仕事、頑張ろう。湊くん、癒してくれてありがとう。
鏡に映る私は、ふわふわの洗顔で、肌に透明感さえ出ている気がした。もう洗顔は終わっていたけれど、シャコシャコシャコ。楽しくなって、私はひたすら泡を作りまくる。
泡を作っていると、湊くんがすぐそばで包んでいてくれる気がした。明日もしゃこしゃこ泡を作っちゃおうかな。
いつの間にか、落ち込んでいた私は消えて、前向きな私が、戻ってきていた。明日は、今日よりも、優しい私になれそうな気がした。
あなたの隣にも、
優しい泡のような時間を。
※この物語はフィクションですが、WarmRelation のキャスト・水城湊から着想を得て、匿名様のご体験をもとに小説として書き起こしていただいたものです。
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