6年。
2025年9月2日。
WarmRelationに在籍して6年が経過しました。
6年前のこの日から、逢坂裕として、懸命に走ってきました。
「逢坂裕とはこうあるべき」
という思いで、自分の求める逢坂裕を必死で追いかけてきた。
ちゃんとしなきゃならないとか、完璧を追い求めなければならないとか。
それは指名してくださるお客様のために。
充実した時間を提供するために。
この人を指名してよかったと感じていただくために。
そのために、僕は日々研鑽し、努力を怠らず、逢坂裕像をつくってきた。
そんな中で時折お客様がかけてくださる言葉がありました。
「ありのままの裕君でいて欲しい。」
「素でいいんだよ。」
「本当の君は、もっと柔軟に素直になれるはずだと思う。」
なんだかそんなことを言われることが多い。。。
とすれば、逢坂裕とはなんだろう。
お客様が求めてくださる逢坂裕と僕があるべきと定める逢坂裕像には乖離があるのかもしれない。
逢坂裕というものが想像以上に大きくなっていたのかもしれない。。
それはただ膨らんだだけの虚像。
針を刺せば破裂してしぼんでしまう。
それが今の逢坂裕なのかもしれない。
そんな虚像は望むはずもない。
価値を求め、お客様に喜んでもらえる人物でなければならないという思いで走ってきた結果、お客様の求める逢坂裕とズレがあったのでは、全く意味がない。
1つ変革の時なのかもしれない。
「他人の幸せのために、自分の幸せを犠牲にしてはいけない。他人を思いやる事は素晴らしく大切であるが、自分を犠牲にする事は美徳ではない。」
お坊さんが言ってた。
お坊さんが言うんだから間違いない。
では、どうやって他人と自分の幸せを両立させることができるのだろう?
「第一に大切なのは、自分の心の声を聞くこと」
だそう。
僕が1番苦手とする部分だ。
「モチベーションで仕事しない」なんて偉そうに言ってきたが、それは裏を返せばこうと決めることで、自分の進む道を定めないと進むことができなかったということでもあると。
もしかしたら僕は自分の心の声を聞くことから逃げ、自分はどうしたいかを考えてこなかったのか。
「自分はどうあるべきか」
ばかりだった。
かっこいいと信じた道も、角度を変えればただの独りよがりの格好悪い様相を呈していただけと捉えることもできるのかもしれない。
空っぽ。
ペラペラ。
ではどうすれば?
それが「自身の心の声を聞くこと」なのかもしれない。
「自分を幸せにすることができない人間に他人に幸せを提供する事はできるはずがない。」
道理である。
本当の僕はそんなに完璧な人間ではないし、どちらかと言えば、できる方でもないし。
めちゃめちゃシングルタスク。
多少無理して逢坂裕をつくっていたのかもしれない。
でも、無理してでも作る必要があった。それも事実。
「そのままのゆう君が見たい。」
「こんなに気さくだとは思わなかった。笑顔素敵だし。」
「めっちゃ笑わせてもらいました。」
そんなふうに言ってくださる皆さんのために。
「僕は僕である」
逢坂裕を等身大にして中身の濃い状態にしていく。
これからはその作業をしていきたい。
そんなふうに思っています。
この6年本気で追い求め、真剣に取り組んできたからこそ得られた1つの境地。
「逢坂裕は空っぽである。」
空っぽであることが怖いと思って、「あるべき姿」を追い求めてきた。
「完璧な自分」
しかし、そうあればあるほど、後戻りできない恐怖に陥って虚像を作り込んでしまっていた。
逆に空っぽであることに気づいた今、怖い事は無い。(と、思う。)
逢坂裕の化けの皮を逢坂裕自身が剥がしていきたい。
それは全て、僕に関わってくださる方々と共に幸せに歩むために。
逢坂裕

夏のおわり。
大切な景色。






