花束みたいな恋をした 考察と感想

「共感性羞恥」

この言葉で終わらせるのは簡単だと思われるが、この言葉以上に自身の心情を表す語彙が見つからなかった。あらゆるシーンが既視感。それが狙いの映画なのであろうが。

まずは粗筋から。

ある夜、終電を逃すという些細なきっかけで出会った大学生の麦と絹。互いが互いを意識しながら居酒屋で自己紹介をすると、2人は共通点ばかりだということに気づく。同じスニーカー、絡まったイヤフォン、栞がわりの映画の半券。あまりに共通点の多い2人は運命すら感じてしまう。意気投合した2人はそのまま男の家に行き夜通し喋る。数日経ち、3度のデートを重ねた2人は交際することに。順調に恋路を進める2人であったが、重なった共通点、価値観、趣味は2人の就職を機にずれるようになっていく。喧嘩をするようになった2人は、やがて喧嘩もしなくなるくらいに希薄な関係になってしまい…。

ということである。

先ず出会い方が巧妙なのである。

普通の恋愛映画なら麦と絹が終電を逃し、漫画喫茶で同じ漫画に手を伸ばし、手が触れ合って、、、のような描き方で十分成立する。

それを敢えて、たまたまそこに居合わせた社会人の男女、その男側に明け方まで居酒屋で時間を潰しましょうと誘わせる。

麦と絹はあくまで着いていった形だ。

前者のような出会い方だと、そう経験するようなことでも無いし、主演演者が美男美女と来てるから、誰も共感しないだろう。

それに比べて後者の様な出会い方は、往々にして経験し得ることであるので、一気に観客を引き込むことができる。

物語の大枠を占め、最大のキーワードとなっているサブカル、ポップカルチャーも、全て実在する固有名詞で固められており(著作権やばかったんだろうな、お金かけすぎだよな)

舞台設定が2015年〜2020年という、比較的最近のことであるから、大体の事象について、共感することができた。

350mlの缶ビールを握り締めながらクロノスタシスって知ってる?の件なんて何回やったかわからないし、

広告代理店である絹の父親が麦に対して、ワンオクロックのチケットを取ることが出来るがワンオクは好きか?と尋ねた時に麦が発した「聞けます」の発言なんて、マジョリティを馬鹿にする自称サブカル君が発するに相応しい言葉であり、過去の自分を見ている様(いや、今もだな)で身震いしてしまった。

全てが巧妙で計算し尽くされていた。

私も大学時代に一番長く恋をした女性と別れを決意した理由は、社会人になったことによる価値観の変化と、いつまでも学生時代が抜けてない彼女に対しての苛立ちだった。

今になって振り返ってみれば本当に些細で、どうでも良いことなのだけれど、当時はそれが全てなのだ。麦と絹もこれから時間をかけて振り返るのだろう。復縁の話も十分推測できると思う。

絹が麦の本棚を見て、「ほとんどうちの本棚じゃん」と言った発言をするが、正しくは、完全サブカル野郎の本棚じゃん。が正しいと思う。

何故なら私も殆どが通ったことがある作品達だったから。

自身の分身であると互いに誤解しあった相手と恋に落ちるのは、とても自然の流れである。しかし錯覚や誤解で始まった恋には賞味期限がある。

「花束みたいな」の解釈についての言及は避けようと思う。私自身の中で答えは出したが、これは視聴した人の心情や状況によって、その人の数だけ答えがあると思うから。

逃げたわけではないので悪しからず。

ただ一つはっきり主張したいことは最後のファミレスのシーン。

麦と絹が付き合う直前であろう大学生カップルを見て、過去を思い出し、泣き合うシーン。

麦と絹の泣いている理由が違うということ。これだけは合っていると思う。

麦が泣いていた理由は、手に入らない未来である。絹との「現状維持」が叶わず、相手に対しての以前のような熱量や、当時のようにカルチャーに対して感動出来なくなり、これから先もあの頃の感覚は取り戻せないのだという未来に対しての涙。

一方絹が泣いているのは、失ってしまった過去である。互いを自身の分身だと誤認していた日々、「宝石の国」に対して同じ熱量で語り合えなくなった恋人、いつからか辞めてしまったラーメンブログ、ワイヤレスに変わってしまったイヤホン。

付き合った当時と同じファミレスで、同じシーンを見ているのに、泣いている理由が正反対なんて、物凄いアイロニーを用意しているなと感じてしまった。とても巧妙である。

2020年現在としてのエンドシーンで、麦と絹が互いに現在の恋人とデートをしている中、偶然同じ空間に居合わすというシーンがあるが、これは実際には会っていないのだろう。

麦の現恋人は絹とは正反対のようなギャルであり、絹の現恋人は、麦とそこまで系統が変わらないような男であることからも、

麦は未来に生き、絹は過去を捨てない意思を持っているとの答え合わせなのだなと解釈した。

冒頭で述べた「共感性羞恥」理解して頂けただろうか。

殆どの人が通ってきたありふれた恋愛だからこそ、ここまで多くの人の心をうち、考えさせるのだろう。全てが巧妙である、何回言ったか。ズルい映画であった。

また見に行こう

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