男女とは〜ノルウェイの森から

こんにちは。青山春人です。
2回目の投稿だというのにちょっと恥ずかしいタイトルですが、最近思う「男女」についてを、村上春樹さんのノルウェイの森から解釈しました。

小学校4年生頃だったかな。学校の図書館で海辺のカフカと出会って以来、とても好きな作家さんです。アメリカ文学の影響を多大に受けている作家さんであり、サリンジャーのキャッチャーインザライを訳したことはあまりにも有名。やたらとシングル・モルトの話をし、ジョン・コルトレーンをこよなく愛すお洒落なおじさんのイメージです。


彼が書く日本語ってたまに英文法における “”(挿入)を意識した文章が伺える。まるで英文法をそのまま和訳したかのような。

「男女とは。」なんて大それたタイトルをつけました。さまざまなセクシャリティが認知されている世の中ですが、殊ヘテロ-セクシュアルの人にとっては命題と言っても良いくらいのトピックなので、大好きな作家さんの作品を借り、「読み解く」と言った形で逃げることをお許しくださいませ。

※あまりに有名な作品なので、ネタバレの観点から伏せるといったことを一切しません。




あくまで「回想である」を強調させる場面から始まる物語。37歳であるワタナベが、ハンブルグ空港の機内でビートルズの『ノルウェイの森』を耳にするところから始まる。

曲に対しての情緒的な表現がないことから、僕が思うにどこのホールで、何年の演奏で、とかは関係なく、寧ろ円盤にディジタルに埋め込まれたノートを忠実になぞるものの方が、当時の記憶を思い出させるのでしょう。

当時大学生であったワタナベには最愛の女性直子がいました。
舞台が早稲田大学であることは明確で(理由は省きます)60〜70年代に盛んであった学生運動の様子が窺えます。余談ですが、Facebookが物語の解決の鍵を握る、色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年(村上春樹13作目の長編)とギャップの差に驚きます。

直子はワタナベの親友であるキズキの幼馴染であり、キズキとは互いに恋仲でもありました。キズキが自家用車の中で自ら命を絶った後は、失意を胸にその高校生活を終え、上京をします。

物語はワタナベと直子が互いに大学2回生の時、偶然にも東京で再開することで動き出します。

唯一の親友であるキズキを失い、誰も愛することが出来なくなっていたワタナベと、最愛の人を無くした直子。
似たもの同士であり、互いに共通の人を失った悲しみから、次第に寄り添い合うようになります。
直子が20になった夜、彼女の小さなアパートで、二人は結ばれます。
幸せを感じていたワタナベと裏腹に直子は泣き出し、抱えていた胸の内を吐き出します。
キズキとは心から愛し合っていたけれど、上手く出来なかった(濡れなかった)と。
次の日直子は置き手紙と共に消えていて、数日後にアパートも引き払われてしまいます。

暫く文通は続いていましたが、ワタナベの心にはミドリの存在が日に日に大きくなっていきます。ミドリは直子と正反対で「生」の匂いを放つ奔放で瑞々しい女の子で、いつでも真っ直ぐにワタナベの心を揺さぶります。
「ねえ、ワタナベ君。 私が今何をしたがっているかわかる?」
それから情事を描写するセリフを吐くのです。そんな風に誘われたら、男は喜んで寝るでしょう。そんなものです。

「生」の匂いに溢れたミドリと、「死」の匂いを纏う直子、どちらと結ばれたら幸せかはあまりに明白でしょう。しかしそこには、愛や性欲、理屈だけでは乗り越えられない「情」が存在していると、僕は思います。直子が自ら命を絶った後も緑と結ばれなかったワタナベの心情が、痛いほどよくわかるのです。

出会う順番が逆だったら?直子とミドリ、それぞれが抱える問題が反対だったら?結果は変わっていたかも知れません。
男女とはそういうものなんだと、大人になった今、しみじみ感じます。
最初に読んだ10代後半には分からなかった感情が、今ならよくわかる。



「男女とは」を命題に掲げながら、「そういうものなんだ」で終わらせることをお許しください。
それを知りたいから、レンタル彼氏をしています。
最後に、ミドリがくだんのセリフを放つ、新宿のDugのコースターと黒ビールの画像を貼っておきます。僕も大好きなbarです。
ここなら、昼からお酒を飲む罪悪感が少なくて済むのです。(ミドリのセリフです)
夜に行くなら断然トム・コリンズで。
長くなりましたがまた次回。

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青山春人

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